好き放題
書き放題
とにかく喋ります
いつ消えるかもわからないブログ
4日も寝込めばそりゃなまりますようわああああ
よくわかりましたよね、自分は才能なんかなかったんだなって。
才能じゃないなにかでここまで来たんだろうなって。
高校の時大学の先生にちゃんと聞いたはずなのになあ…
「才能がないならこの先ピアノの道に進むのはやめるのではっきり言ってください。」
って言ってみてもらったのが中学2年と、高校の進路選択の頃。
それぞれ違う大学の先生に。初めての先生に伺いました。
もーあの時全然ダメだからあきらめなよって言ってくれればあああなんて責任転嫁ーーー
実際嬉しかったんですよね。ピアノが好きだったから。
昔の自分とは変わったんだって、嬉しかった。
3歳でエレクトーンのアンサンブルに入って、小4でピアノを始めました。
アンサンブルでは一番下手なのが私。もうそう相場が決まってました。
謙遜とかじゃなく、ほんとに。
先生だってもう私にはあきらめてたし、風邪ひいてる時も早退していいからと言いつつもいざ早退しようとすると
「逃げるの?一番足ひっぱってるのわかってるの?」
とか言われたしもう…(トラウマ
それからもいろいろありまして…もう弾かなくていいよ時間のムダとかピアノかじってる人にとって一番きっついこと言われて本気でやめようと思ってたんですけど、
まあまあもちろん母親が許すわけがなく!!!
文字通りひきずられながら通いました。
ちなみにアンサンブルのパートは決まっていなくて、それぞれの曲でやりたいパートを選んでいたんですが、
大抵もう定着していて、私はいつも和音パートでした。
私自身それがよかったっていうのもありますし、
旋律といえばMちゃん、ベースはSちゃん、和音といえば私
みたいなのがあったので。
そのおかげですよ!!!!!!!!!!!!
今!!!!!!!!
ヘ音記号が得意なのは!!!!!!
初見が得意なのは!!!!!!(和音がすぐわかるから
だからなんだかんだ身になっているというか、ありがたかったというか
初見が得意なのも、先生に嫌われるほどへたくそなくせに練習しないで行ったからですね(
命がけですんでね…!ええ!!()
まあそう考えると意味のないことじゃなかったなって思いますね。
母親もありがたい。
ピアノに本気になったのは、小5の頃ですかね…
好きな割にちょっとつづりがわからないんですが、
「レ・フレール」
と、
「風味堂」
に出会ったのがその頃です。
どうやって弾いたらいいのかもわからないピアノへの考え方ががらりと変わったのを覚えてます。
ピアノの上で踊るように動く斉藤兄弟の指、表情、音
ピアノを叩きつけるように動く渡さんの指、それでいて流れるような音色、滑らかな音、声。
涎垂らしながら見てましたね…
もうほんとに心つかまれてそのまま踊らされて
ピアノうおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!ってなったんですよね。
私のとは全然違う、もう世界が違うと勘違いするような
世界は違うなんてそんな言葉で片付けていい人たちじゃないですよ
あれだけになるためにしたであろう努力から目を背けてはだめだと思います
彼らも人間。同じ世界に生きている。それなのにあんな音が出せる。あんなふうに笑える。あんなに指が動く。
私も人間。人間。努力なら出来る。きっと、もしかしたら、いつか多分―
そんなこと考えたら鳥肌が止まらなくなって、いつか。こんな風にピアノ弾けるようになるまでやめない。
そう決めました。
どうしたらいいかわからなかったピアノの弾き方もそこでやっとわかりました。
場所も準備も整ってる。さあどうぞ、って導かれたあの日から、私のチャレンジは終わってません。
まさか音楽学部にいくだなんて小さい私には信じられないでしょうねwww
彼らのあの曲をいつか弾くんだ、と楽譜も買いました。
未だに弾けないですwwwwwwwwwwww
懐かしい話をしてしまってなんだか今すごくあれな気分です
雷鳴ってる
目標を思い出してしまったので、くじけるわけにはいかないですね。まったく。
PR
この記事にコメントする